団体名 釜ヶ原神楽団 (かまがはらかぐら)
団体所在地 岩国市美和町釜ヶ原
各種指定   美和町指定無形民俗文化財(平成5年3月12日)
⇒岩国市指定無形民俗文化財(平成18年3月20日) ※市町村合併のため
起源  釜ケ原は平家の落人の里と云われ、京都を連想する語彙を用いた地名(舞殿、能行、花態、みやればら、おん、おおだん)があることなどから、神楽などに親しむ土地柄と思われる。
 現在伝承されている山代狂言神楽の主流は、明治の末期から大正にかけて本郷から伝わったとされているが、それ以前から何らかの形で神に関わる舞、つまり神舞(山代舞ともいわれる舞)が存在していたことは確かなようだ。また、当時山代狂言神楽の伝承元である本郷に山代全域の神楽を統制していたと思われる札(鑑札制度)があったところから、本郷の神楽の影響を受けたものと思われる。(※本郷の山代神楽本谷保存会や他の神楽に確認したが、いずれもそのような伝聞はなかった)
 明治の終り頃までこの地方には「しゃじき」と呼ばれる名主12人集の制度があった。「しゃじき」は秋祭りなどの際、氏神様の拝殿の周りに12軒のやぐらを組んだ見物用の座敷のことで、名主の家族はこのしゃじき席から神楽を見物し、その他のものはこのまわりで神楽を楽しんだという。
 近代に入り、釜ケ原の神楽が最も盛んであった時期は第二次世界大戦以前(昭和16年以前)で、地元で柔道を習う若者が神楽舞に興味を示し、熱心に練習を重ねたという。
 この荒々しい舞が近隣で評判になり、山代狂言神楽に影響した演目が県境を越えて伝わっていったともいわれている。その後、終戦後の神仏軽視の風潮の中、神楽は次第に下火となったが、このような中でも人々は衣装や面を大切に保存して再興を目指していた。しかし、昭和26年のルース台風により、衣装や面のほとんどが流失してしまった。これを機に山代狂言神楽の火は消えた。それでも地域の人々は、祝い事や宴席になるとだれかれとなく棒や箒を持ち出し、鍋や釜などを叩いて神楽を舞ったという。
 やがて、長老の山ア藤吉氏(当時80歳)など数人の神楽仲間が健在であることを背景に、昭和45年(1970年)ごろ青壮年10数人が村おこしの一環として神楽保存会を結成した。(結成時期は昭和36年との説もあり)。
 これまで神楽は持ち株組織で運営されており、誰でも神楽を舞うことは出来なかったが、これを廃止して全戸に呼びかけることで北門地区が一体となって神楽が舞える環境を整えた。
 また、釜ケ原に隣接する大三郎の集落には、伝統のある太夫舞があったが、こちらも終戦後次第に消滅してしまい、楽のみが残っていた。そしてこれを機に一体となった組織を結成し、現在の神楽団の基盤が確立され現在に伝承されている。
保持演目
※@〜Kは十二神祇裏表の24演目とされる。
@湯立て(ゆたて) 神降ろしの舞
Aすすはき 舞台を清める舞で、神殿(舞台)の煤を払い床を掃く所作を舞にしたもの
B七五三(しめぐち) 神を鎮めるという意味の舞
C柴鬼神(しばきじん) 太夫と鬼の問答(争い)の後、鬼が静まり天下泰平国家安全が得られる。
D三刀
Eさすい
F恵比寿 恵比須に扮し、豊漁(釜ケ原の場合、豊作)や商売繁盛を祈る神事舞
G三鬼 弓舞い:鬼退治の話を題材にした舞
H姫取り 源頼光と姫を捕らえにきた鬼との攻防戦。大江山の前段
I金時 大江山の前段。道を造ったり橋を架けたりする様を表現。大江山につながるときは、源頼光と出会う時点で山伏の姿になる。
J五郎納寿 国分け、四季分けの神の舞で、陰陽五行にまつわる舞
K天岩戸 神話「天の岩戸」を題材にした舞
L御神楽 神降ろしの舞
M大江山 源頼光と四天王が丹波の大江山に住む酒呑童子を退治する舞
N八又の大蛇
O大将軍 年際のみに舞う神がかりの舞で。山代地方独特の舞で「山の神」ともいう。
画像

H17.10.9 装束大明神奉納:湯立て

H17.10.9 装束大明神奉納:塵倫

H17.10.9 装束大明神奉納:大江山

H17.10.9 装束大明神奉納:八岐の大蛇


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