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神楽等に関する雑話を気分次第で紹介しようと思います。
この他にも何か面白い話があれば教えてください。

■注意事項■
歴史的な内容については、解釈する人の立場・考えで変わるモノと個人的に思っています。
ここに書かれている内容が全てではありませんが、参考にしていただければ幸いです。


恵比寿と大黒(2008.3.15)
民俗芸能の連鎖(2007.11.4)
雲太、和二、京三(2007.9.10)
上沼田神楽の不思議(2007.2.1)
八(2006.8.2)
倭、大和、日本(2006.1.23)
日の丸(2005.11.28)
世継ぎ(2005.11.10)
文化財保護(2005.10.20)
神社、神宮、天満宮・・・(2005.8.26)
三種の神器(2005.7.7)
伝承(2005.6.2)
紋章(2005.3.27)
保存会、団、社中(2005.3.18)
裏方(2004.12.9)
神社合併の由来(2004.11.24)
演目の流れ(2004.9.25)
神々の家系(2004.9.21)
漢字表記(2004.9.20)


■恵比寿と大黒(2008.3.15)
 七福神は、インドのヒンドゥー教(大黒・毘沙門・弁才)、中国の仏教(布袋)、道教(福禄寿・寿老人)、日本の土着信仰(恵比寿)が入り混じって形成された、神仏習合からなる、いかにも日本的な信仰対象で、室町時代末期頃から信仰されていると言われている。
 さて、上沼田神楽には、「大国主の神」と「事代主の神」という演目がある。「大国」と「大黒」、「事代主」と「恵比寿」。その関係について、結構聞かれるので整理してみた。

 まず、大国主と大黒天について。
 大黒天は、元々はヒンドゥー教のシヴァの憤怒の化身であるらしい。本来はマハーカーラといい、マハーは「偉大な」をカーラは「時」もしくは「暗黒」を意味するため「大暗黒天」とも呼ばれ、青黒い身体に憤怒の表情をした神であった。後に仏教や密教に取り入れられ、日本においては仏教の伝来と共に日本古来の神である「大国主」と習合され、独自の神となったらしい。

 次に、事代主と恵比寿について。
 恵比寿は記紀神話(古事記、日本書記)以外の外来神とされ、もともとは異邦より村に時たま訪れる外来物に対する信仰(神)であり、海の向こうからやってくる水の神である。これが、記紀神話において国譲りの要請を受諾するかどうかを大国主神の使者が事代主に聞きに行ったとき、釣りをしていたとされる事代主の命と結びつき、同一の神となったとされる。また、蛭子命(伊耶那岐命と伊耶那美命の子)を神として奉る神社もある。

 両者ともに共通しているのは、本来の信仰があり、これに記紀神話が混ざり、より身近な存在として今に伝わっているという点だろう。 「事代主と恵比寿さんは同じなの?」と聞かれた場合、「同じといえば同じ、違うといえば違う」と答えるのが正しいのかも。。。


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民俗芸能の連鎖(2007.11.4)
 先日、公演を終えた瞬間にふと思った。「祭り」という地域古来の風習があるおかげで、「神楽」という伝統芸能も存続できるんだよなー・・・と。
 以前、あるテレビで、人間国宝が作品を仕上げるのに、そのためのパーツが今の時代では入手しにくく、それ故に存続が危ぶまれる、という番組を見た。僭越ながら、神楽も同じ状況かなーと思った。

 神楽は、伝わってきた地域と共にあるもの。ただ神楽を舞うだけでは、神楽とは言えない。地域が伝え、育ててきた神楽だからこそ、地域の人に感謝し、地域の心とあわせて受け継いでいくことが大切だと思う。
 神楽は、各地域の祭りと共にあるもの。祭りなしに演目全てを保持し続けることは困難であり、祭りなしには神楽とは言えない。最近は、イベントに起用されることで、「舞手」と「観客」がはっきりと分かれてしまっているが、本来は互いが酒を飲み交わし、言葉を掛け合いながら楽しむものだろう。また、祭りの担い手も高齢化し、手間がかかるために若者が面倒見を嫌い、簡素化する傾向がある。
 また、神楽で使う衣裳や面も、それぞれ職人の腕によるものだ。息を吹き込まれた道具は、それだけで観る人を魅了するものである。

 時代とともに、(神楽に限らず)民俗芸能を取り巻く環境も大きく変わっている。思うに、「古き良き時代」に戻ることが必要なのではないか。民俗芸能の連鎖を断ち切らないためにも、田を守り、山を守り、水を守り、そして地域を守る。そんな心を一人一人が考えていく必要があると思う。


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■雲太、和二、京三(2007.9.10)
 平安時代に書かれた「口遊(くちづさみ)」という書物に「雲太、和二、京三」という記述がある。雲太(うんた)とは出雲大社(いずもおおやしろ)のこと。この当時の出雲大社は、東大寺大仏殿や平安京大極殿をしのぐ日本一の高層建築であったらしい。その高さは、16丈(48m)、15階建てのビルをしのぐという、信じがたい高さである。平成12年には、境内からこの記述を裏付ける巨大な柱根が発見され、天にそびえる古代出雲大社の真実性はいっきに高まった。
 現在の出雲大社本殿は、江戸時代に建てられたもので高さは24m。社伝によれば、太古の出雲大社はさらに高く、97mもあったといわれている。正門そばの古代出雲大社模型展示館「雲太」では、古代の高層神殿を10分の1のスケールで展示している。

 何故、古代の、しかも京から遠く離れた出雲にこんな大きな神殿が建てられたのか・・・?その物語は、上沼田神楽の演目の中にも盛り込まれている。
 もともと、出雲の国は「国つ神」である大国主の命が治めていた国だった。数々の試練を乗り越えて出雲の王となった大国主だが、その土地に目をつけたのが天照大御神だった。建御雷神
(たけみかずちのかみ)と天鳥船神(あめのとりふねのかみ)が出雲の国に派遣され、有名な「国譲り」の交渉が行われた。
 結局、古事記上は「無血開城」となった出雲国だが、大国主の命は、大社を建て、自らを奉ることを国譲りの条件とした。この条件に基づいて、それこそ立派な神社となったのが出雲大社である。
 実際には、出雲の国を奪い取るための争いがあったと推察される。昔々、恐れられたのは死者の怨念だった。菅原道真の場合も、この怨念をしずめるために太宰府天満宮が建てられた。その大きさ、社格は、鎮める者の力に応じて決まるのだろう。出雲という大国を治めていた大国主を鎮めるためには、大きな神社が必要とされた。それこそ、「雲太」級の神社が。その拝殿の奥には、大国主が奉られてはいるものの、正面を向いておらず、その四方は強力な神々が抑えつけているらしい。
 ・・・・・・・この物語については諸説がありますので、興味のある方はもっと調べてみてくださいな。
 

現在の出雲大社本殿

発見された古代出雲(?)の柱

古代出雲大社の復元予想図

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■上沼田神楽の不思議(2007.2.1)
 日本中の各地に受け継がれる神楽。その地域ごとに特徴があり、その地域の文化として誇るべきものだろう。
 さて、上沼田神楽の所在地である山口県岩国市錦町。この地域には、大きく分けて4つのタイプの神楽が存在する。どれも、その本来の目的は「収穫に感謝し、神を祭祀する」ことであることに変わりはない。

 まず一つは、瀬戸内海側に多く見られる「神舞」と呼ばれる神楽。演劇敵要素は少なく、衣装も質素なものがほとんど。舞所の四方に柱(3メートル四方くらい。竹が一般的?)を立て、その中で舞われる。
 次に、島根県石見が発祥とされる石見神楽。島根県西部では、この石見神楽が主流であり、同じ岩国市錦町の「向峠神楽保存会」はこの石見神楽を継承している。
 三つ目は、広島県の神楽。ここでは、元々島根から伝承された神楽を基に改良・創作が活発に行われ、「スーパー神楽」と呼ばれる大衆受けする神楽が確立されている。一方で、古くからの神楽を守り続ける地区も確かに存在する。
 そして、それらの神楽の間に挟まれ、それぞれの要素をもつ「山代神楽」。岩国市北部の古称が「山代」であることからこう呼ばれる。いつから伝わったか、その演目は石見神楽に近く、舞い型は神舞に通じるものもある。一方で、天大将軍(山之神)や芝鬼人といった、この地域独特の演目も存在する。

 で、上沼田神楽の不思議。周りで様々な神楽が舞われる地域に位置しながら、演目には法則がある。それは、基本的に、古事記に記された物語しか伝わっていないというところだ。『演目紹介』を見ていただければ分かるけど、古来から伝わる12演目のうち、清祓いである「天神地祇」、陰陽五行を表す「五郎の王子」を除けば、全て古事記に関する内容の舞いになっている。
 上沼田のすぐ下の「上須川」という地区にも以前は神楽があったらしいけど、そこには塵倫や鍾馗が伝わっていたらしい。はっきり言って、石見神楽の方が見栄えはするのに、それを取り入れようとしなかったということだ。よっぽど頑固な人が仕切っていたに違いない(笑)。ある意味、固有の文化があったのだろう。

 そんな上沼田神楽の不思議を、今後も舞い伝え、飲み伝え、語り継いでいきたいと思いますね。


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■八(2006.8.2)
 八俣大蛇といえば、神楽好きな人じゃなくても知っているメジャーな演目ですよね。頭が八つ、尾が八つの大蛇を須佐之男命が退治するという物語。最近では、これに従って大蛇を八匹出す神楽団もある。
 しかし、この物語、大昔の川の氾濫を大蛇に例え、それを治めるという物語の比喩という解釈があります。で、その川は別に八本だったわけじゃないんです。
 古代において、「八」という数字は”末広がり”という意味から縁起がいいものであり、また、八百万
(やおよろず)の神々という言葉があるように、”とてもたくさんの”という意味もありました。八俣大蛇は、いくつも支流がある川の氾濫を鎮めた、という古代神話だったのでしょう。
 また、天照大御神が岩戸に隠れたとき、これを誘い出すために用意された八咫鏡
(やあたのかがみ)、八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)もそれぞれ、「とても大きな鏡」「とても長い(紐に繋がれた)曲玉」という意味です(三種の神器参照)。

 なので、別に大蛇八匹にこだわる必要は無いということで、上沼田神楽は最大五匹で頑張っていると・・・。



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■倭、大和、日本(2006.1.23)
 日本の国名の変遷について、色々と調べてみました。

@倭
 古代中国では日本のことを「倭(わ)」と呼んでいました。中国に渡った日本人が自分たちのことを「我(吾:わ)」と言ったのに対して「倭」の漢字をあてたという説があります。かの有名な”漢委(倭)奴国王印”の金印は、当時の漢王朝が倭の奴(な)というクニに贈ったものです。当時の日本にはまだ統一国家がなく、小さなクニが数多く存在していたそうです。そのため中国が呼ぶ「倭」は単に国家を指しているのではなく、日本の地域を指すという説、クニの連合体である説などがあります。
 ちなみに当時中国では、他国を指す言葉には蔑称を使っていました。「倭」というのも”従順で小さな”などの意味があるそうです。

A倭と大和
 時が過ぎ、日本人自体が自らのクニのことを倭であることを認識するようになったと思われる。さらに、倭の字は蔑称であることを理解したため、「和」の字を当て、頭に「大」を付けて「大和」と記すようになった。西暦400年前後の話らしい。
 一方、数多くのクニが存在した日本も、次第に力のある豪族が支配地域を拡げていくことになる。その中の一つとして、畿内を治める「やまと」というクニがあった。この「やまと」が日本を表す(日本という地域の総称=日本を支配するに相応しい)「大和」の字を受けたのではないだろうか。
 なお、西方にあった倭国を大和が征服したとの説や、邪馬台国と関係する説などがある。

B大和と日本
 更に勢力を増した大和は、だんだんと国家としての基盤を形成していく。
 607年の遣隋使で聖徳太子が隋に宛てた文書「日出ずるところの天子、日没するところの天子に書を致す」。この文言が「日本」という国名の基といわれている。ただし、当初は日本と書いて「やまと」と読んでいたらしい。
 701年に完成した「大宝律令」により、「日本」という国号が法的に確立した(ただし、当時は音訓の関係で「にほん」ではなかった)。この背景には、7世紀後半以降、緊迫する東アジアの国際情勢の中で、中央集権化を進めることで、強力な政府を構築し、国家としての独立を保とうとした。そのため、唐の統治制度を模倣しながら天皇を中心とする国家づくりが進められ、その集大成が大宝律令の完成であった。
 大宝律令による統治・支配は、当時の大和朝廷が支配していた領域(東北地方北部を除く本州、四国、九州の大部分)にほぼ一律的に及ぶこととなった。
 ちなみに、「天皇」という言葉が用いられるようになったのは推古天皇の時代(592〜628年)との説がある。

 神楽で日本国を指す言葉を使うとき、時代背景を踏まえ、上記のどれを使えば正しいのか考えてみましょう!
 また、神楽はその性質上、舞台の陰に必ずといっていいほど天皇(朝廷、勅命)があります。遥か昔から勧善懲悪の中に天皇家の正当性や力を重ねているのでしょうか。私は別に天皇を崇拝するわけではありませんが、神楽に関わる以上、天皇や日本国の歴史は切り離せない問題でしょうね。



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■日の丸(2005.11.28)
 掲示板での「階位を表す色」の話題から飛び火して、一体日の丸はいつからあるんだ?と疑問に思いました。神楽で使われる扇の中でも、「日本」を思わせるこの日の丸の起源とは・・・。

 日の丸とは、日本の国旗に使われているも文様であり、白地に赤い丸をベースとしている。
 この歴史は古く、平安時代より遥か昔までさかのぼる。記録上は、「続日本紀」701年(大宝元年)正月条に記されているのが最初というが、一説によると、朝廷が日本を制定したときにすでに「日出ずる国」を表すとしてこの文様が使用されていたとの説もある。となると、神楽で大国主や事代主がこの日の丸の扇を使うのはどうなのだろうか?彼らから見て、いわば敵である朝廷(天皇)の象徴を使うのは誤りなのだろうか?

 もともと島津藩が外交用の旗として使っていたのを、開国時に商船を区別する旗として江戸幕府が正式に採用したのが「日の丸が国旗として使われた起源」である。その後日の丸は、明治政府、日本国政府に引き継がれ、国旗として利用されていたが、これを正式に国旗として制定する法律は存在しなかった。様々な議論の末、平成11年(1999年)の「国旗及び国歌に関する法律」で正式に国旗として認定された(それまでは慣習的に扱われていた)。

 なぜ朝廷が使っていたものが島津藩で使われ、更に幕府がそれを採用するのか、その経緯もまた疑問。島津藩は朝廷とのつながりが強かった気もするんで、その関係か・・・?

 階位を表す色については、また後日・・・。



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■世継ぎ(2005.11.10)
 今、大奥を見ていて思いました。
 当時は一夫多妻制。数撃てば当たるわけで、次の天皇候補は選ぶほど、争うほどいたことでしょう(大奥は徳川家ですが・・)。これがこれまで天皇家が125代続いた理由でもあります。
 で、一夫一妻制の今日では、これが難しいようで。数少ない血筋、それも男子に限っては、世継ぎの確保もままならないらしく、現在は法律の改正が検討されているようです。
 その伝統文化の保存にしても何にしても、いろんな問題があるということで・・・。

(追記)
 で、黒田清子さんの結婚式を見ていて思いました。
 ・・・この人たちって、天照大御神の子孫なんだよなー。



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■文化財保護(2005.10.20)
 上沼田神楽に限らず、多くの神楽は国・県・市町村の文化財指定を受けています。この文化財に指定するということは、これらの保存に対して何らかの措置をする、という行政の約束な訳ですね。
 文化財には、大きく分けて「有形文化財」と「無形文化財」があります。読んで字の如く、有形文化財は刀剣や壷とかの形あるものです。これらは、保存場所や管理、極端な話湿気とかにも注意すれば、いつまでも保存できるものでしょう。

 しかし、無形文化財はそうはいきません。
 無形文化、例えば神楽を伝えていくには、それなりの人数が必要です。これまでは伝承地域の人間だけで構成されていたので「やるのが自然の流れ」でしたが、高齢化や人口流出によって地域外の団員が増えるとそうはいきません。舞台がないと練習に精がでない。⇒華やかさがないとやる気も起きない。⇒入団する人もいなくなる。⇒団の運営が困難。という恐ろしいフローチャートが、頭をよぎります。
 で、神楽団員にとって、「文化財保護」ではなく、「文化財振興」という気がないと、今後続けていくのはなかなか大変なんじゃないかと感じています。この辺、広島や島根では行政を巻き込んで活発な活動がなされており、うらやましい限りです。山口県の神楽は、これらに比べてどうしても神事的な色が強すぎて、イベントとして成り立つかどうかは怪しいところです(神事である、というのが神楽の原点のハズなんですが・・・。)。もちろん、舞いの舞台を求めていくためにどのような措置をとるのかは各団体でまちまちでしょう。伝統を重視し、型をくずさないことで価値を高める。現状を維持しつつ、時代の流れを少しずつ取り入れるなどなど。

 一つ思うのは、無形文化である以上、これまでも時代に応じて少しずつ型を変えてきたハズです(一子相伝の芸能ならともなく、里神楽ならなおさらのこと)。それを、現代の型で固定してしまうというのも何か違うんじゃないかな、と。言語と同様に、文化も生き物なんですから、時代に応じてある程度型を変えるのはいいんじゃないかと思います。ただ昔と違うのは、車もテレビも無い時代、緩やかに地域文化と併せて型を変えてきたのに比べ、現代は急速に変わり過ぎる点です。異なる文化を取り入れるのはいいですが、染まるのは安易に受け入れられない、というのが私の今のところの考えです。


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■神社、神宮、天満宮・・・(2005.8.26)
 各地で奉納をしているうちに、ふと気付きました。「○○神社」やら「○○八幡宮」とかあるけど、何が違うのだろうか、と。単純に考えて祭神とか由緒だろうかなーとは思いましたが、一応調べてみました。
 
  ・神社・・・神道(日本民族古来の神観念に基づくもの)の神を祭り、祭祀(さいし)や参拝のための施設のある所。また、その建物。
  ・神宮・・・格式の高い神社の称号。また、その称号をもった神社。古代から皇室と深いつながりを持つ神社、あるいは
       天皇を祭神とする神社。熱田神宮・平安神宮・明治神宮など。

       なお、伊勢神宮の正式名称は「神宮」であり、本来は伊勢神宮だけが神宮を称していた。
  ・天満宮・・・菅原道真(すがわらのみちざね)の霊である天満天神を祭った神社。全国各地にあるが、特に大阪市北区の天満宮、
        京都の北野天満宮、太宰府(だざいふ)天満宮が有名。

  ・八幡宮・・・大分県宇佐市に鎮座する宇佐八幡宮を全国八幡の総本社とする。一般に応神天皇・比売(ヒメ)~・神功皇后を祭る。
        源頼朝が鎌倉の鶴岡八幡宮を創建されてから武士の信仰が広まった。
  ・大社・・・かつては出雲大社のみが称していたが、戦後増加。全国に多数ある同名の神社の中で宗社にあたる神社であって、
       旧社格が官幣大社・国幣大社であることを基本としている。



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■三種の神器(2005.7.7)
 下記に記述する鏡と剣のレプリカ及び勾玉を所持することが日本の正統なる帝として皇位継承の際に代々伝えられています。中国でいう”玉璽”みたいなもんでしょうか。

@八坂曲玉
(やさかにのまがたま)
 天照大御神が天の岩戸に隠れたとき、伊斬許理度売命(いしこりどめのみこと)によって造られました。
 「や」はたくさん、「さか」は古代の長さの単位。「やさか」とは「とても長い」という意味です。長い紐に通された曲玉のことであると言われています。これは現在も皇居に祀られています


A八咫鏡
(やあたのかがみ)
 天照大御神が天の岩戸に隠れたとき、玉祖命(たまのおやのみこと)によって造られました。
 「や」はたくさん、「あた」は古代の尺度で人差し指と中指を開いた幅を意味しています。大きな鏡という意味でしょうか。古代では単純に大きくて立派なものを所持していることは権力の証だったのでしょう。また、一説によると「八頭(やあた)」と書き、突出部が8つあることを意味しているとも言われているようです。現在は伊勢皇大神宮(三重県伊勢市)に祀られています。


B草薙剣
(くさなぎのつるぎ)
 須佐之男命が八俣大蛇を退治した時に蛇の尾から見つけ、天之叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」と名付け、天照大御上に献上しました。そのずーっと後、日本武尊が東国遠征の時、火攻めにあった際にこの剣を使って周囲の草を薙ぎ払い、難を逃れたことからこう呼ばれています。現在は熱田神宮(愛知県名古屋市)に祀られています。

 古語拾遺(807年成立)では、天孫降臨の際に邇邇芸命
(ににぎのみこと)が授かったのは鏡と剣の二種であるとされています。また、690年の持統天皇即位礼では「神璽の鏡剣」を奉ったとありますが、勾玉は記載にありません。このことから古来神器は剣と鏡の2種であり後に勾玉が加わったとも、逆に勾玉の方が古くから神器としてあり、後に剣と鏡が加わったとも言われています。

 また、太平記によると三種の神器は壇ノ浦の戦いで平家と共に生みに沈んだとされていますが、草薙剣は熱田神宮より外に持ち出された記録はなく、神宮内に現存しているといわれています。また、八咫鏡も同様に伊勢神宮から持ち出された記録はありません。宮中に有ったのは曲玉のみとのことです。(「草薙剣のみ現存する説」「すべて現存し、形代が入れ替わっている説」もある)

 ・・・ちなみに、家電三種の神器
  @昭和30年代  白黒テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機
  A昭和50年代(3C)  カラーテレビ、クーラー、自家用車
  B2000年代(新三種の神器)  デジタルカメラ、薄型テレビ、DVDレコーダー


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■伝承(2005.6.2)
 現在、山代神楽共演大会に出場している団体は7団体。上沼田神楽保存会、向峠神楽保存会、金山神楽保存会、釜ケ原神楽団、山代白羽神楽保存会、東谷神楽保存会、山代神楽本谷保存会です(山口県内の神楽参照)。頻度の差はあるでしょうが各地の奉納やイベントに参加し、定期的に活動を行っているようです。上沼田神楽保存会もそうですが、第二次世界大戦や高度経済成長の影響あるいは昭和26年のルース台風の影響などで、活動が途切れていた神楽も多いみたいです。その後、郷土への熱い想いや伝統文化への愛着から復活、今に至っています。

 しかし、すべての神楽が復活を果たしたのではなく、幾つかの神楽は惜しくも復活できず、今歴史に埋もれようとしています。平成16年、山口県教育委員会文化財保護課によって山代神楽についての調査が行われ、1冊の資料が届きました。これには現在活動している神楽のほか、断絶しそうな神楽、断絶している神楽についての記述もありました。大変貴重な資料だと受けとめています。また、断絶神楽の中には、いつか再び活動する日のために大事に衣装を保存し続けている地区もあると聞き、伝統文化への絶えぬ想いを感じ取られます。

 私たち、今神楽を舞っている者は、そういう神楽があることも後の世に伝えていく使命を背負ってるのかな、と思います。


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■紋章(2005.3.27)
 大体のものには、それを表す紋章があります。シンボルマークみたいなもんですね。

 ・家紋・・・それぞれの家には、紋章があります。近代の家庭では重んじていないでしょうが、お年寄りならご存じかと思います。
       圧巻なのは、南桑の河内神社。内神庭の天井に地区の家紋が一面ずらーっと貼り付けられています。ちなみに、
       名字で大体の家紋が分かるらしく、コチラのサイトで紹介されています。
 ・神紋・・・神様にも紋章があります。

 ・社紋・・・神社にはそれぞれ奉ってある神様があるはずです。神様が1柱の場合は、その神様の神紋が社紋となるようですが、
       2柱以上の場合は代表神の神紋を社紋とするようです。

 ・団章・・・団体を表す紋章です。上沼田神楽保存会では平成16年に、神沼田神社の社紋である「三つ巴」に若干手を加えた
       ものを団章として認定し、ジャンパーなどに使用しています。

 ・市町村章・・・市町村のシンボルマークとなる紋章です。新設市町村を除き、すべての市町村にあると思います。
         市町村名や地域の特徴などを以て表現されています。
 ・指紋・・・人の指の紋章(?)です。2つとして同じ形のものはなく、事件捜査や人物識別などに実用されています。
 ・鼻紋・・・牛の鼻の紋章(?)です。2つとして同じ形のものはなく、見た目で区別できない牛を識別するために必要です。
       牛は生まれて数日すると、身体検査とともに鼻紋がとられ、最近では個体識別のため耳に耳標をつけます。



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■保存会、団、社中(2005.3.18)
 神楽の団体名は、パッと見「山口県=保存会、広島県=団、島根県=社中」というのが多いみたいです。独自に由来を考えてみました。

 @山口県 歴史の古さや伝統を重んじる傾向があり、これまでの伝統、舞い方を「保存」することを目的とするからでは?
        後継者にも悩む団体が多く、地域によっては後継者不足により失われそう、又はすでに失われた神楽もある。
 A広島県 戦後すぐに神楽が活性化。神楽ブームに見られるように、積極的かつ人気者的な団体が多く、一般的に
        「団」という呼称が多くなったのでは?
 B島根県 神楽は昔、一般の人が舞うものではなく、神官の家系が伝えるものでした(元々神様を楽しませる儀式です
        からね)。やがて伝承者の不足等で一般の人にも伝える形になったとか。島根県は神話にも記される
        「出雲」がある県でもあり、その名残が強く「社中」と呼ぶのでは?


 結局は、近くの神楽の名称に準じてつけてるんでしょうがね。また、うちの正式名称は「上沼田神楽保存会」ですが、曖昧なもので、幕には「上沼田神楽団」、昔の新聞の紹介にも「上沼田神楽団」とあります。これは他の神楽団体でも同様のようです。聞こえがいいからですかね。うちは最近は「上沼田神楽保存会」で統一して使用しています。
 ここから先は更に私の自論なんで、軽〜く眺めて下さい。

 @に書いたように、山口神楽は先ず伝統を重んじるんですね。戦後に形を大きく変えた広島神楽の活況ぶりと比べると山口県は蚊帳の外のようで寂しいですが、それはそれでいいと思います。伝統は「競う」ものではないと考えているからです。だから、私の好きな舞台は夜の奉納神楽です。
 もちろん、伝統だけでは見る人も満足させられないこともあるでしょうし、そのため伝承者の確保すら困難です。しかし、上沼田神楽を何とか広めたいという想いもあります。これからは、古事記に伝わる内容を更に忠実に表現し、許される範囲内で分かりやすくなるように手を加えることで、活動の場をより広く求めていきたいと考えています。



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■裏方(2004.12.9)
 鮮やかな衣装を着て舞われる、華やかな舞台。その陰には、多くの人々の支えがあるんです。

  ・音響  味のある縁起も、美しい笛の音も、この音響がなければ響きません。
  ・衣装着せ  短い幕間に素早く着替えるためには、猫の手も借りたいところ・・・。
  ・衣装たたみ  出番が終わった衣装は素早くたたみ、部屋をスッキリと。
  ・煙  悪役の登場に煙幕は欠かせないところ。風向きをしっかり読んで。
  ・幕引き、蜘蛛  「滝夜叉姫」では幕の開閉、妖術の蜘蛛を抜群のタイミングで。
  ・化粧  「滝夜叉姫」では化粧も施す。微妙な色使いにもこだわりが見える。

  ・職場  土日に多い公演。仕事を休んで来る人もいます。許してあげて下さいな。
  ・地元  地元の温かい心、祭りの時などのまかないは、本当に助かります。
  ・家族  何と言ってもコレ。毎週の練習、公演でほったらかし。理解力を示せるか?
  ・年寄り  最近は出番がやや少ない年寄り達。
         「若い衆にまかせる」とは言うものの、上記の裏方をしっかりとこなしてくれています。



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■神社合併の由来(2004.11.24)
 神沼田神社の中を見てみると、「神社合併の由来」なる板書きが飾ってありました。

 「白鳥神社、地主神社、杵崎神社、多賀神社、柿本人麻呂神社、愛宕社」
 これら何れも棟が老朽化し、棟数も多く、維持管理も困難になるため神々様に不倣にあたることから、氏子の協議により各神社を合併することにした。
 昭和56年9月10日に御神挙祭を行い、各神々様を多賀神社に仮鎮座申し上げた。そして、各神社の立木、權見岩、資金、氏子の奉納金、縁故の方々の御土愛敬神の御志により、神殿新築拝殿修理を行った。その後、新神社に各神々様を鎮座申し上げ、合併神社の名を神沼田神社とした。


 これらの神社が上沼田神楽を伝え続け、再興を支えたんでしょう。元多賀神社の敷地に建つ「神沼田神社」以外の跡地を教えてもらいましたが、竹藪の中に僅かに基礎や瓦が残っているものもありました。昔は、秋祭りの時期が来ると、ロウソクの明かりを頼りに鍛錬を続けていたとのこと。
 この狭い集落にこれだけの社があったというのは、厳しい暮らしの中、神を奉ることで何かしら心の支えにしていたんでしょう。その志を受け継いでいくのも私達の役目の一つなんだな、と思います。


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■演目の流れ(2004.9.25)

 上沼田神楽は古事記に伝わる物語を受け継いでいます。それらは全て流れがあり、簡単にまとめると次のようになります。

 天地の初めに高天原に多くの神々が生まれ,最後に伊邪那岐神,伊邪那美神が生まれる。この2神が地上に降り,夫婦となって国土や山の神や海の神等を生むが,最後に火の神を生んで女神は死ぬ。黄泉国(地下の死者の世界)に行った伊耶那美命を連れ戻そうと伊耶那岐命がその国に赴くが失敗する【黄泉醜女】。のちに男神が水中で禊をし,そこで天照大御神や須佐之男命が生まれる。のち須佐之男は狼藉を働き【天の斑駒】,姉の天照大御神は立腹して天之石屋に籠る【天の岩戸】。八百万神の工作で大御神は石屋から出て高天原に光が戻る。この事件のために須佐之男は追放されて根之堅洲国(ねのかたすくに−地中の世界)に赴くが,途中出雲国で【八俣大蛇】を退治し,櫛名田比売を娶る。この子孫に大国主命がある。この神は根之堅洲国で須佐之男命から試錬をうけるが,その娘の須勢理毘売を娶って地上に逃れ,やがて国つくりを始める。

 この国土は高天原の使者建御雷神と、大国主命とその子神事代主命等との交渉ののち,天照大御神に献上され、その子孫の邇々芸命が諸神を率いて日向の高千穂峰に天降る【天孫降臨】。この時の道案内を務めるのが猿田彦である【薙刀舞】。邇々芸命の子、火遠理命と兄の火照命はある経緯から互いに争う【芝鬼人】


 全て神々の時代で、初代天皇とされる神武天皇以前の物語となります。当時の事件等について、比喩を巧みに使い著しているようです。
 上沼田神楽の発祥が1717年以前。江戸時代の山中で細々と暮らしていたであろうこの時代に、どこから伝わり、どのようにして部落に広まったんでしょうか。



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■神々の家系(2004.9.21)
 日本国の「象徴」とされている天皇。どのくらい象徴なのか?
  第125代  現在の「今上天皇(平成)」  在位期間 1989.1.7〜
  第122代  倒幕時代の「明治天皇(明治)」 1867.1.9〜1912.7.30
  第107代  江戸時代の幕開け「後陽成天皇」 1586.11.7〜1611.3.27
  第 82代  武家政治の幕開け「後鳥羽天皇」 1183.8.20〜1198.1.11
  第 72代  後に院政を行う「白河天皇」 1072.12.8〜1086.11.26
  第 60代  菅原道真を太宰府へ左遷した「醍醐天皇」 897.7.3〜930.9.22
  第 50代  鳴くよウグイス平安京「桓武天皇」 781.4.3〜806.3.17
  第 43代  平城京遷都、古事記の編纂など「元明天皇」 707.7.17〜715.9.2
  第 38代  中臣鎌足とともに蘇我氏を討つ「天智天皇」 661.7.24〜671.12.3
  第 33代  歴代で最初の女帝。聖徳太子を摂政とした「推古天皇」 592.12.8〜628.3.7
  第 15代  「神」の名を冠する最後の天皇「応神天皇」 270.1.1〜310.2.15
  第 11代  紀元前後にまたがる「垂仁天皇」 前29.1.2〜70.7.14
  第 10代  国内統治基盤を整備。真の初代天皇か「崇神天皇」 前97.1.13〜前30.12.5
  初   代  存在自体が疑われる「神武天皇」 前660.1.1〜前585.3.11


 約2,600年にわたり、家系図が続いているんですね(真実は別として)。象徴とするのもうなずけるカモ。
 で、この初代:神武天皇の叔父にあたる人物が「事代主神」、その親が「大国主神」とされています。それこそ上沼田神楽でもでてくる「神」なんですね。で、この大国主神をさらにたどると「須佐之男命」とか、「伊耶那岐命」「伊耶那美命」の国生み、神生みの神話にいきつく・・・みたいです。

勝手に参考:歴代天皇目次 http://www.logix-press.com/scriba/index/tn-index.html
        家系図体系 http://page.freett.com/keizusoko/taikei/taikei.html
        古事記の世界 http://homepage1.nifty.com/Nanairo-7756/


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■漢字表記(2004.9.20)

 スサノオノミコトという人物がいます。この人物はちょっと調べただけでも「須佐之男命」「素戔嗚尊」と、違う漢字が広まっています。また、演目についても、「八俣大蛇」「八又大蛇」「八岐之大蛇」と。様々です。他の人物や演目も同様、2つ以上の表記が見られるものが数多くあります。これはなぜなんでしょうか・・・?

 まず理由の一つとして、その漢字の引用書物が何だったか、があります。
 古事記(712年)は、国内に向けて天皇家の支配の正統性を示すために編纂され、漢字の音読みと訓読みを交えた日本語文で書かれています。日本書紀(720年)は、国外に向けて国家としての日本を示すために編纂され、当時の国際語である漢文で記されています。。
 スサノオは、古事記では「須佐之男命」、日本書紀では「素戔嗚尊」と書くそうです。こんな感じで、読む書物、見る資料で色々な漢字が出現してしまうみたいです。

 二つ目の理由として、昔は今のように文字が飛び交う時代ではなかった、ということです。地域によっては、言葉のみで演目名が伝えられ、またある地域ではそれまでの漢字が途絶えたことから、当て字を置いた事例も多いのではないかと考えています。
 
 神楽の演目を表すのに、その地域に伝わる漢字を使うのが良いのか、正しい漢字を使うのが良いのか。どうなんでしょうかね。


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